2013年 02月 20日
御深井焼の名称由来。
御深井焼(オフケヤキ)
尾張徳川家の御用窯。元和2年(1616)藩祖徳川義直が窯業保護政策のため、
名古屋城外郭の御深井丸に美濃や瀬戸の優れた陶工、仁兵衛、唐三郎、太兵衛らを招き築いた窯、
またはそこで焼成したやきもの。明治初年廃藩とともに廃絶。
陶芸用語大辞典より
御深井焼は、名古屋城西北の本丸近くの「御深井丸」に窯があったためという説が一般に流布していて、
辞書などにも上記のような記載がされ、私もそのように理解していました。
ところが最近になって、古図面の調査から実際に窯があったのは、
城の北東にあった「下御庭」(現在の名城公園の一角)と判明。
旧来の説は誤説だと明らかになった。
2月19日付中日新聞朝刊の「御深井焼の名称由来」の記事には、
たいへん驚きました。
尾張徳川家の御用窯。元和2年(1616)藩祖徳川義直が窯業保護政策のため、
名古屋城外郭の御深井丸に美濃や瀬戸の優れた陶工、仁兵衛、唐三郎、太兵衛らを招き築いた窯、
またはそこで焼成したやきもの。明治初年廃藩とともに廃絶。
陶芸用語大辞典より
御深井焼は、名古屋城西北の本丸近くの「御深井丸」に窯があったためという説が一般に流布していて、
辞書などにも上記のような記載がされ、私もそのように理解していました。
ところが最近になって、古図面の調査から実際に窯があったのは、
城の北東にあった「下御庭」(現在の名城公園の一角)と判明。
旧来の説は誤説だと明らかになった。
2月19日付中日新聞朝刊の「御深井焼の名称由来」の記事には、
たいへん驚きました。
by nodacchi21
| 2013-02-20 09:05
| 陶芸・展覧会